2.危険性の認識


§1機械の危険性はどこにあるか


すべて運動する機械には多かれ少なかれ危険性が潜んでいることは誰でもよく知っている。文明の発展によって進歩した機械と言っても危険な所といえば動力で動かされる回転運動部分と、往復運動をする部分である。そして、これらの持つ運動エネルギ−は非常に大きいので、ちょとでも接触しようものなら、振り回されるか、つぶされるという災害を起こし易い。例えば回転運動機械としては旋盤、フライス盤、研削盤などがあり、往復運動機械としてはシェ−パ、スロッタ−などがあげられる。一般に機械の危険な部分は、ほとんどの場合容易に目で見分けられる。したがって適当な安全装置をつけるか、安全囲いまたは覆いで覆ってしまえば、その部分によって起こる災害には直ちに100%の効果が期待できる。もともと人間が非常に効率のよい機械を発明し、改良を重ねてきた過程において、これらの機械を制御し、あるいは機械の危険性から人間を防護することも伴わせて考え実行していたならば何も問題は起こらないのであって、例えば、機械が製作された当初にすでに安全装置などがついていれば、古い機械に今更安全装置をつけなければ危険だとか、災害が起こるということもないわけである。ところで当創造工房内の古い機械は少なくなり危険な機械は減ってきたが新しい機械でも平研、シェ−パ、マシニングセンタ−などのように少しでも安全に作業できるようにフェンス等を取り付ける必要がある。創造工房における作業を能率良く行うために動力機械に依存することは、産業革命以来当然の事となった。


 しかし、機械によっては安全を考慮していないためきわめて危険と思われるものが現実には相当多く使われている。また、一方では安全に製作された機械のカバ−や安全装置等を取り外したまま作業をしている場合もある。


 機械災害防止のための防護方法としては、仕事点に対する方法と、仕事点以外の運動部分に対するものがある。例えば、刃物の降下する部分とかラクソ−、グラインダ−の砥石、工作機械の切削部分は仕事点である。仕事点の防護は、まず、作業に支障をきたさないものでなければならない。したがって安全装置にしても安全囲いにしても、機械や作業にあったものを選択し、使用するときは十分作業と関連をもたせて検討しなければならない。また、安全装置であっても全ての場合に防護が有効とは限らないから、この面についても注意し作業を行う必要がある。すなわち、仕事点の防護方法としては、作業者が常に仕事点の状態が正常であるかを確認し、その機械の構造を知っておくことが大切である。つまり標準作業を実行することが最も重要なことである。また機械の他に、保護眼鏡の着用、手袋の禁止など作業者自身が自分を守ることも大切である。いずれにしても仕事点における防護については、能率的にもまた災害を発生する危険性においても、直接作業をする作業者自身であることに注目したい。 



§2 人間は生き物であって神ではない


 人間は十人十色で能力に差がある。顔や姿が違うように、視力も、努力も、考えることも、することも、すべて個々の能力に差があり、機械を設計する人、製造する人、利用する人、全ての立場が違い、認識の程度が違い、設計時に考えられたこととまったく異なった現象が現れ、思わぬ災害が起こって来る。我々が何か仕事をしているとき、その仕事を正しく安全にやるための支えとなっていた意識が、急にわきの方へそれてしまい、本来の仕事に対して意識が途切れる。意識の流れがわき道にそれたその瞬間に危ない”きっかけ”があれば、そのきっかけ次第で、どんな事故でも災害でも起こりうるのである。ところで「わき道に誘うもの」「ついうっかり」した原因は何であろうか、悩みごと(心配事)である。この悩みごとは種々様々で、次のような事が考えられる。若い人の多い学校では、異性との関係を無視するわけにはいかないようだ。ソワソワとした様子が、いかにも危なげに周囲の人の目に映るときもあれば、次のデ−トに心をはせて一人ニヤニヤしている人も少なくはなく、その心のすきまが災魔の見入るところとなる。



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