卒業生の声
Graduate Voices

わが子に誇れる仕事ができるよう、市民のために毎日をがんばりたい


山﨑 友子さん
国土交通省北陸地方整備局 高田河川国道事務所 調査第一課 河川調査係長。
平成15年3月建設学科社会基盤工学コース卒業、平成17年3月新潟大学大学院博士前期課程を修了。同年4月に国土交通省北陸地方整備局に入省され、阿賀川河川事務所、本局企画部企画課、阿賀野川河川事務所を経て、現在に至る。
(聞き手:紅露一寛教授、大竹雄准教授)

数学や物理が好きな自分の背中を父が押してくれた

まずは、新潟大学で土木工学を学ぼうと思ったのか、高校生や大学1年生のころのことを思い出して、その経緯と理由を教えてください。

山﨑:高校時代より、土木や建築といった建設系の進路に興味があり、土木・建築の両方の教育コースがある、地元新潟の新潟大学工学部建設学科に入学しました。入学後は建築をやりたいという時期もあったのですが、図学などの授業で製図や課題製作などを建築希望の同級生たちと取り組む中で、「美術のセンスがないなあ...」と思い始め、よく考えてみると、高校時代より数学や物理の理系科目が好きであることに気づきました。ちょうどそのころ、土木と建築のどちらのコースに進むか考える時期だったので、父と話をする中で「自分がなりたい職業と、自分に向いている職業は違うこともあるよ」と言われたこともあり、自分の適性に合っている土木工学を専攻することに決め、社会基盤工学コースに進みました。

お父さんが背中を押してくれた形になったのですね。土木技術者を目指す道を選んだとご両親に伝えたとき、お父さんはご心配したりしませんでしたか?

山﨑:特に何も心配していなかったと思います。

そのような経緯で社会基盤工学コースに所属して土木を学ぶことになったわけですが、土木を学ぶ前である受験生の頃と、土木を実際に学び始めた大学生の頃とで、土木工学や土木技術についての印象や興味、考え方などに変化はありましたか?

山﨑:社会基盤工学コースに2年生から所属し、土木を学び始めましたが、華やかなイメージのある建築とは対照的に、土木にはそのような華やかさを感じることは、残念ながらありませんでした(笑)。当時の工学部の校舎は廊下がちょっと薄暗くて、実験棟もそんな薄暗い廊下をくねくね曲がった先にありましたし...(笑)

そうですよね。私が大学生のころも、大学の校舎はどの学部に行っても狭く暗い廊下で、とても静かで、薄気味悪いと思っていました。当時の工学部は女子学生も少なかったので、女子学生の多い学部と比べて、特に華やかさに欠けていましたね(笑)。今はそんなこともなく、工学部の校舎の中は明るく、たくさんの女子学生が工学を学ぶようになっています。

講義で学んだことと実現象とが結びついたときに「おもしろい!」

そんな印象を持ちつつ土木を学ぶ中で、学生時代の学業で面白かったことや印象に残っていることなどを教えていただけますか?

山﨑:当時の社会基盤工学コースでは、構造工学・コンクリート、水力学、地盤工学、水質工学の実験科目が3年生で開講されていたのですが、教室での講義で学んだことを実験を通して目で見たり体験したりすることを通して、実現象と科学の成果の「点と点」が線で結ばれたとき、「講義であの先生が言っていたことは、こういうことなんだな」と感じ、学業が面白いと感じました。

学生時代は、学業以外に部活動やサークル活動、ボランティア活動などの課外活動に取り組まれていたことがありましたか。

山﨑:高校までバスケットボール部だったので、バスケットボールのサークルに入っていました。大学全学規模のサークルでしたので、工学部以外の他学部の学生との交流も増え、友人もたくさんできました。

話を学業に戻しますが、大学4年間の学業を終え、そのまま大学院の修士課程に進学されていますが、その理由は何だったのですか?

山﨑:大学3年生、4年生と進級するうちに、「もう少し勉強したいな」という思いがありました。その当時は「就職氷河期」と言われた時期のあとではありましたが、まだまだ女子学生が民間の建設業各社への就職するのは厳しい印象をもっていましたので、大学院で2年間学ぶうちに、少しは就職を取り巻く状況が変わるかなと期待していたのも事実です。

不思議と、大学3年生や4年生くらいになると、「もう少し勉強したい」と思うようになりますよね。私も同じでした。土木の専門のことが少しずつ分かるようになって、だんだんと面白くなってくる気持ちと、就職を控えてしっかりと知識を身につけたい思いが交錯していたのを記憶しています。
大学院での2年間の生活で、特に学業・研究について印象に残っていることや今でも役立っていることがありましたら、教えてください。

山﨑:私は地盤工学の研究室で、自分なりに一生懸命に実験をやっていました。実験の時には「振動三軸試験器」という実験装置を使っていたのですが、実験方法が難しく時間を要することも多かったので、研究を進める上で大変だったことが、真っ先に頭に浮かびます。

全力で対応した「豪雨災害の3日間」から多くを学んだ

ところで、山﨑さんは、就職先として現在のお勤めである国土交通省をなぜ選んだのでしょうか?

山﨑:少々申し上げにくいのですが...就職の準備を始めたころは、国土交通省は第一希望ではありませんでした(笑)。ただ、就職活動の中で、国や都道府県、市町村などの「公務員」としての技術職の仕事の内容を少しずつ知るにつれて、国土交通省への魅力が高まっていきました。
また、現在は国も都道府県も、子供が3歳になるまでは育児休暇の取得が可能となっていますが、私が就職活動をしていた当時は、育児休暇の制度ができてから日が浅いこともあって、子供が3歳になるまでの育児休暇は、国が先駆けて制度化していました。そのことも国土交通省を就職先に選んだ理由の一つです。

就職活動をしていた時は、恐らく24歳ですよね。その後の人生の大きなイベントである結婚、出産、育児...のことと、ご自身の仕事のことを考えますと、その当時にお考えになられていたことは、私も良く理解できます。
ところで、今現在はご結婚されてお子さんもいらっしゃるわけですが、毎日のお仕事・子育ての生活はいかがですか?

山﨑:子供を出産し、産休・育休を経て、職場に復帰した現在は、勤務先(国土交通省)の配慮で、出勤・退勤時間についてご配慮いただき、とても感謝しています。子供は成長とともに少しずつ手がかからなくなってきますが、子供にとって「母親」の存在はある意味特別なところもあるせいか、母親が対応しないと子供が許してくれないようなこともあり、仕事に育児に毎日フル回転、といったところです(笑)。

現在のお仕事の内容について、簡単に教えてください。

山﨑:今の勤務先は、日本一の大河・信濃川の最下流部が管轄となっています。現在は河川管理業務に携わっています。堤防の除草や点検、河川管理施設(堰(せき)・水門・排水機場・樋門・樋管)の点検整備や、河川の維持管理に係る予算管理の仕事をしています。

これまでのお仕事の中で、特に面白かったことややりがいを感じたこと、印象に残っているエピソードなどがあれば教えてください。

山﨑:一番印象に残っているのは、平成23(2011)年7月に発生した新潟・福島豪雨です。私は当時、阿賀野川河川事務所の調査課に勤務しており、流量観測や水位観測を担当していました。この時の洪水は既往最大規模となったわけですが、そのときに収集した流量観測データは、後に解析等の貴重な基礎データとなりました。このときは洪水発生から終息まで3日間を要しましたが、全力で対応にあたっていた3日間に得られたことは、今の私の貴重な経験となっています。

この先やってみたいお仕事や、将来の夢、勉強してみたいことなどがあればお聞かせください。

山﨑:やってみたい仕事、というと、どうしてもこれまで経験した業務に関するものになってしまいますが、例えば、最近の高度な測量技術を生かした水防力の強化や、さまざまな高度技術の活用による事業コスト縮減などが頭に浮かびます。また、河川管理という仕事を経験してから、再び河川調査・設計に携わりたいです。管理という立場を経験したことで、新たな角度から設計できるかもしれない、と思っています。

最後に、これから土木技術者を目指す在学生や高校生に向けて、メッセージをお願いします。

山﨑:今、私は3人の子供を抱えながら、夫や職場の皆さんの理解や協力もあって、毎日子育てと仕事をこなしています。そのことに感謝する気持ちを忘れないようにしています。また、子ども達が成長する過程の中で私の仕事の内容が理解できるようになる日のために、「我が子に誇れる仕事」をしていきたいと思っています。
今後、社会基盤工学(土木工学)の技術者を目指す女子も男子も、ともにがんばっていきましょう。

ありがとうございました。お子さんの健やかな成長と、お仕事でのご活躍を願っています。

所属、敬称などの掲載内容は2015年7月のインタビュー時のものです。